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2005年6月

2005/06/15

私が結婚を決めたわけ。

↑まだ、はっきり決まったわけじゃないんですけどね。ま、どうして、結婚しよう、という気になったか、という話。

多分、躁鬱病になっていなかったら、まだそういう話は無かったと思います。

私が躁鬱病になったのは、学校を卒業して勤め始めて半年も経たないときの話です。あれが無かったら、少なくとも今よりもキャリアがあるはずで、、こんなに仕事のことで四苦八苦はしていなかったはず。

言っても仕方が無いから、、友達には勿論言ったことがないし、恐らく親にも無い。彼に1回言ったか言わないか、なのですが、躁鬱病になるにしても、もっと仕事を覚えてから発病すれば良かったのにな、と思っています。

。。本当に言っても仕方が無い話です。実際に、仕事を覚えてから発病したほうが、良かったかどうかは、分からないし、、今自分が仕事が出来ない言い訳でしかない気もします。学生の時に発病する人も沢山いて、私よりも好きなことが出来ない人はいっぱいいるのに。。

あ、いえ何が言いたかったのか、と言うと、仕事が楽しかったら結婚を考える必要性を感じないだろうな、という話です。一人のほうが何をするにも楽ですから。

現実には、一人よりも二人のほうが、お互いが持っている荷物を一緒に持ってあげられるだろうから、いっかな、と結婚を考えました。私の目には、自分の荷物よりも相手の荷物のほうが、普段は軽く見えるのですが、時々とても重くなるときがあるように見えるので、そういう時に、少しでも軽くしてあげたいな、と思って。

親戚が、私が薬を飲んでいることを知っているのは、戸倉一族が特殊で、すぐ近くに住んでいて仲がいいからです。友達が知っているのは、5年前の躁状態の時に、自分でばらしたからです。。今は、特に誰かに言うつもりはありません。大切な人だから友達だから、という理由で打ち明ける話でもないし。

‥‥今年、来年あたり、忙しい日々が続きそうです。

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2005/06/06

わかってもらいたいというよりも。

(死にたい、と思うほど酷いうつ状態でなければ)背中を蹴飛ばしてもらいたいです。誰かに必要とされていたいし、自分が出来ることの中で、誰かが喜んでくれることがあれば、幸せです。

躁鬱病になって、一番最初のうつが一番酷く辛かったのですが、まるでお年寄りのようでしたね。うつから、立ち直って再び、浮きつ沈みつしつつも働けるようになるまでの間は、少しずつ外に出られるようになっていくことに、家族がとても喜んで、甘やかしすぎることなく、背中を蹴飛ばしてもくれたので、わりかしすんなり良くなることができました。必要とされると、人は燃えます。うつが酷いときには、寝ているだけで「良かった」のですが、だんだん家事をするように要求されて応えているうちに、それが嬉しくなっていきました。

私のおばあちゃんが、今まさにそういう感じです。少し前まで、記憶が怪しくなってきている感じだったんですが、私が婚約がどうのこうのという話をしだしたとたん、がぜん元気になってきました。「この病気の孫を私が助けてやらねば」 と、燃えてきたみたいです。

勿論、今でも大変は大変です。将来への不安も常に抱えています、今安定しているからといって、また悪くならない保障はどこにもないですから。

ただ、嫌いです。“自分の躁鬱病を他人に分かってもらいたい、と考えているときの自分”が。はっきり言って大嫌い。そんなの、誰にも分かるはずがないから。。。もっとも、人に励ましてもらうのは大好きです。

自分の心の自分ではどうしようもならない部分を、誰かに見てもらいたい、助けてもらいというのは、なにか違う気がする。薬を飲んでいることを、隠そうとは思わないけれど、わざわざ自分から見せる人の気持ちは、私には分からない。(サキさんのように侮辱された場合は別)

知人に、リストカットをした人が居るのですが、彼女は常に隠しています。私も、見せられるのは嫌です。彼女はとても大切な人です、だからこそ、リストカットをしたことがあるという事実だけを知っていれば、それで充分です。

みっともない自分を見せて、同情してもらうと、これでいいんだと言ってもらえている気がして安心するのかな。私は、それでいいよ、と言われると逆に元気がなくなります。

。。精神年齢が低いからかもしれません。

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